NLPをベースにセミナー、催眠療法、カウンセリング、講演などを通して、お母さんの子育ては勿論、老若男女を問わずサポートしています。 チームMIRA菅野康子のリラックスタイム2

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チームMIRA菅野康子のリラックスタイム2

「アニマルヒーラー仲間」

 いよいよ、日付け変わって今日13日(日)で連続4日間、合計10日間のセミナーも一応終わる。次は5月そして来年へとこの続編orジャンルの違う学びになっていく。学びは深い・・・そしてとても疲れた・・・(笑)しかし、何と言っても知りたい事を知る事が出来る喜びのほうが大きい。

 そんな昨日のセミナー内でも大きな自分にとっての気付きがあった。私は自分の「恐れ」がどんなものなのかが分からなくて困っていたのだが、(現実にある恐れはもちろん理解出来る。例えば「死への恐れ、判断する事の恐れ」など)今日ランチの時に、ワクワクする前に一瞬だが「未知なる物」と遭遇する時を想像した時に感じたものが「恐れ」だった事に気付いたのだ。つまり、昨日のブログで書いた「ワクワクしかない」と書いたのは嘘だった。ごめんなさい。

 

 正式に言うと、ワクワクすることは確かなのだがその前に一瞬感じる恐れがすぐにワクワクに変わっているので、見逃していた、と言う事。そう言えば、NLPを学び始めた頃「あなたの問題は何ですか?」という質問に毎回悩んでいたことを思い出した。「問題のない人なんかいない」、と言われ続けたが、これも同じだったのだ。

 

 私は「問題」を問題として認識していなくて、すばやい思考の中で「次に何をするのか」、に変わっていくので、「問題」として捉えていなかった、と言う事だ。別に「問題」という言葉が嫌いだったわけではなかったが、根っからの「ポジテイブ思考」らしいと自分で自分を理解した。

 

 そんな事を考えながら、昨日セミナーの終了後「スピリチュアルアニマルヒーラー」仲間達との「交流会」が青山のドッグカフェで行われた。皆それぞれの職種(基本的にヒーリング系ばかり)だが、その根本は同じものを持っている。先日も書いたが動物好きの集まりは実に楽しいし、安心感がある。その奥に持っている「思いやり」「優しさ」「責任」などを感じるから。

 

 真面目な話しから(命に関係する身近な動物に対しての話し)から、冗談まで。笑ったり感じたり・・・昨日は朝から実に様々な所に旅をした感じだった。さて、そんな旅も一応今日でひと段落!(ホッ♪) 10日間の完了をするためにも、今日も楽しみながら「委ねる」事を学んでこようと思っている。皆様も今日をどの様に過ごしますか?(過ごされましたか?)

 

                     ☆ 恐れを知った 菅野康子でした ☆




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「居場所」

この所セミナー受講が続いているが、先日のメルマガにも書いたが、出会いとは本当に面白いものである。セミナー会場で会うわけだから、表現は違っていたり、今の状態はそれぞれ勿論違う事は当たり前だが、同じもの(学び)をしたいと思うその気持は同じである。だから共通点も多い。

 

 今回も今日でまだ会って2日目の方だが、生まれて来た時から知っている、そんな感覚の方と出会った。彼女は北海道からの参加である。年齢もも出身も顔も全く違うのに、この感じる「共通感」は何なのだろう?とも思う。
 *今回のセミナーはサイキック開発なので、それらも当たり前に私たちは感じている事でもあるのだが。

 

 私たちは「未知なる物への恐れ」があるという。しかし私の場合はどっちの方向を見ても未知なる者へは興味しかない。ただワクワクしているだけだ。この世に生まれてきた「意味」をとにかく知りたい!その興味だけなのだ。

 

 そんな仲間達のいる場所は私にとってとても居心地が良い。また今回その仲間の一人である男性の写真家の方がいらっしゃるのだが、彼は田代島という島の猫たちを撮り続けている。今日その写真集を購入したのだが、かわいい猫たちのちょっとした表情が、動物好きの(特に猫)私には、何とも言えず愛くるしい。

 

 だが所詮「野良猫」。目に病気を持っている子、毛並みの悪い子・・・色々いる。まだ詳しく見ていないし、読んでいないので結論は出せないが、ふと目にとまった彼の文章の中にこんな事があった。

 

「田代島には、昔ながらの猫の居場所がある。大事に崇められているわけではない。愛玩動物として扱われているわけでもない。だが、島の人々は猫に寛容だ。道で寝ていれば車の方がよけてやり、海の恵みを分けてやり、島の生活の一部として自然に猫たちの居場所を認めている。

 

 だから田代島の猫たちは生き生きとしている。人を怖れる事もないし、生存の為に狡猾になる必要もない。堂々と歩き、かといって出過ぎる事もなく、ときおり茶目っ気を見せながらのびのびと暮らしている。たくさん遊び、たくさん昼寝をし、猟師にサカナをねだり、ケンカをし、恋をし、子を育て、猫らしく生きている」

 

 私は田代島には言った事はないが、きっとこの島の人たちはその昔から「島」の中で様々な想いの中から猫たちとの「共存」を大切にし、同じ生き物通しとして仲良くやってきたのだと思う。私の好きな部分は「海のめぐみをわけてやり」と「生き生きとしている」だ。そこには島の人たちの「おおらかさ」「優しさ」を感じる。きっと「しけ」の時は人間も猫たちもみな同じ様にひもじい思いをしたこともあるのだろう、と思う。

 

 一般的に都会の人たちは特にこれらの事を、皆とはいわないが忘れて来ている様に思う。それは私にとっては寂しい事だ。世の中の人たちがみな「相手の存在を認め、分かち合う」事が出来たら、きっとこの田代島の猫たちの様に、本来の自分そのものになるのだろうそして自分の居心地良い「居場所」が一人ひとりに出来るのだろう、と思う。

 

                   ☆田代島の住民に乾杯! 菅野康子でした ☆




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「警察官の不祥事から・・」

 朝目覚めたら、予想通りの雪・・・娘が言った「どうりで静かだと思った。雪は音を消すから・・・。」う~ん確かにそうだ。私は「雪」というと「しんしんと降る・・」という言葉が直ぐに思いつくが、今日の雪はしんしんと降っている感じではない。家の周りから「音」が消えていた・・・

 

 言葉と言うものは本当に面白いものだと思う。その使い方にしても、私たちの気持の表現を助けてくれるものとしてある。時々その想いにぴったり合う言葉が見つからなくて困る事もあるが・・・。

 

 今朝の新聞にも「人間の脳の言語処理は驚異的」とスパコンの「ワトソン」くんとの対比で説明していた。チェスなどでは人間に勝ったが、クイズではどうか?私たちは言語処理を無意識に(実は無意識の中に説明はつくのだが)行うが、ワトソンくんなどは「あいまいな文脈などになるとその処理にはその意味を理解するまでに、莫大な作業をすることになる。その点、人間の言語処理能力をつかさどる脳は今はまだ説明も付かない部分も含めての能力があるということらしい。また良し悪しはあるが、大きな違いは「感情」があるかないかにもかかっている。感情の為に、人間の言語処理能力が落ちる(遅くなる)事もある。面白いものだし、そんな風に作られている「人間」(自分自身)というものを私はもっと知りたいと、思っている。

 

 そしてその人間なのだが、なんとも市民を守る重要な役割を持っている(はずの)警官の不祥事が続いている。愛知では「盗撮」、千葉では電車内で「わいせつ」また茨城・福岡では「飲酒運転→事故」・・・この茨城ではおまけまである。翌日父親と出頭した巡査長(37才)は、父が身代わりになったという。しかも父親の提案。その理由は「息子がかわいそうだった

 

 言葉も出なかった・・・表面的には気持は分からないではない。しかしこの父親にしてこの事故を起こして当日は逃げた息子(しかも37才)ができるのだと思う。この父親には「子どもに対する責任」「愛情」などが欠けている。分かりやすくいうと「子離れ出来ていない父」「自分自身も大人(責任を持つ人、自立している人)になっていない父」という事が分かる。そしてそれらはこの親子だけではない。

 

 その基本は「愛」だ。本物の愛は相手を「かわいそう」などとは決して思わない。自分が育てた息子の不祥事を自分の責任として出頭したのならまだ分からないでもない(そんな馬鹿な話しもないが)。しかしこの父親の様に、本来の「筋」がずれている為に起こす行動は、この先もこのままいくとどんどんずれていく。今この事をきっかけにして「気付く」べきなのだ。

 

 私たちもこのケースを人事だと思わず(実際に人事ではないのだが)、自分の似たケースなどを思い出し、そこから手放すべきもの、変える必要のなるもの、などに「気付いて」いくことが大切だと私は思っている。

 

              ☆ まだまだ振り続く雪を見ながら・・・菅野康子でした ☆




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「ママ友黒田知永子さんの受容と供給」

 モデル&タレントである黒田知永子さんは子どもの同級生のママ。彼女とは学校の役員でみっちり1年間ご一緒した事がある。全体のイメージはフワフワそしてしなやか。とにかく美しい♪ 当時もお仕事をしながらの役員活動だったが、彼女は責任感もしっかり持っていらっしゃる。一緒の1年間いやな思いをした事など勿論一度もなく、それどころか最後の会のときなど、大阪から急いで間に合うように帰っていらして合流して下さり、私を感激させた事もある。素敵な人だ。

 

 その彼女が今日新聞紙面でご自分の反省を語っていた。「仕事も恋も需給のバランス」という。彼女は「居心地の言いようにしてきただけと思うんです」と言っている。(う~ん、中々いいね) 周りから見てもこの紙面でも決して「一生懸命」「突進」などの単語は彼女のイメージからは出てこない。しかし内面では色んな葛藤もきっと沢山あった事とも思う。それを表に見えない様に出来るのは彼女の生来の持ち味でそれが周りに癒しを与えている。

 

 パッと見たら恵まれている人に見えるかもしれない、そして表面だけを見て羨ましがる人もいるかもしれない。チコさん(彼女のニックネーム)だけではなく、一見華やかに見える人たちに対して思う反応の事だ。しかしその考え方(思考と脳の関係)、転換の早さ(リフレーム)、前に向いていく姿勢(アウトカム)などがチコさんの場合もしっかりとベースにあるから、今のチコさんがいる。離婚されて数年になるが、相変わらず綺麗なチコさん。これからも彼女の1ファンでいたいと思う。

 

 そういえばその以前も同じ役員で三浦百恵さん(山口百恵さん)とみっちり1年間ご一緒した事もあったな~、と思い出す。百恵さんが17歳の時にお会いした事があったので、役員になった時チャンスをみつけてその話しをしたら、しっかり覚えていなかった・・・笑い)。百恵さんやチコさんの事を思い出しながら、役員生活も楽しかった事を相乗効果で思い出している。

 

 こんな懐かしさを感じると心が暖かくなってくる。その思いのまま、今日から始まる4日間セミナーに(今日は午後から夜8時くらいまで)参加してくることにしよう。皆様にとっても心が温かくなる様な1日でありますように♪

 

                            ☆ チコさん、百恵さん大好きの 菅野康子でした ☆
  




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「八百長事件」

またまた相撲界で八百長があった、過去はなかった、などマスコミを賑わしている。確かに「八百長」はいけないことである。しかし、それだけ、かな・・・?

 

 市民の見解でも様々な視点からの論議がなされている。一方からだけ見るのは危険なのではないか、と私は思う。何故八百長に手を出さなくてはいけなくなったのか?力士一人ひとりの目的は違うかもしれない。全員がお金の為だとも思えない。先輩力士から言われた時に、縦社会が強い相撲界にあって断れない場合もあるだろう。遊びのお金欲しさで乗った人もいるだろう。練習嫌いな為に乗った力士もいただろう。が、殆どは真面目に取り組んでいる力士と私は思っている。

 

 が、神聖なる土俵の世界も所詮「人の組織の集まり」だ。どの「組織」も「組織」となった時点で元を忘れて段々余計な物が付いてくる。権力であったり、利得であったり。そこには「人望」「人柄」「観る、聴く、感じる力を持った人」が常に必要だ。自分の為というのではなく、その組織、世界(相撲界なら相撲界)の為に。長い歴史の中、どうやら相撲界はその中だけで生きてきた為に、温存され続けた為に、目を失ったらしい。

 

 だからと言って、「八百長」など、決してやって良いことだとは私も思っていないし、こんな事で相撲を楽しみにしている方たち(特に地方のお年寄りの方たち)の娯楽を奪ってはいけないと思う。残念だ。が、ここ数年相撲界一つをとっても、何度あらゆる事件が浮上してきただろう・・?これでもか、という位あったはずだ。いちいち覚えてはいないが・・・。

 

 元が変わっていないから、起こることだ。気付きなさい、と言われているのに気付かないからまたこうして起こるのだ。相撲、そして相撲界、その組織のあり方、など同じレベルで考えてはいけない。何より私が一番悲しかったのは、「携帯を妻が踏んでこわした」「機種を変えたので」「水没した」などいろんな言い訳で携帯を出さない力士たちが多くいるという。誰がやったとかが今必要なのではない(本人はそれぞれ反省すべきだが)、相撲界全体の為に必要なのだ。しかし、職を失う恐れ、名誉を失う恐れ、家庭を失う恐れ、などの為、結果自分に「嘘」をつく。そしてその先は「自分を失う」

 

 八百長を行った力士の中には子どもがいる人も多いだろう。自分の子どもは勿論だが、これから未来の社会を作っていく多くの子ども達にその人たちは顔向けが出来るのだろうか。力士の前に大人としての自分が・・。例え表には出なくても自分が行ったことは自分が知っている。携帯提出云々より、自分に恥ずべきである。ましてや言い訳はただ情けない。位置から出直せばよい。自分に正直に生きていたら、決して悪いようには行かないのがこの世の常なのだ。その正直はいつか必ず自分に返ってく。応援していますよ!

 

              ☆ 自分に正直が一番! 菅野康子でした ☆




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「内田篤人(サッカー選手)を通して」

彼は今ドイツのシャルケ(様々な国から選手が集まっているリーグ有数の多国籍集団チーム)で活躍している。その彼の言葉で「まさか、ドイツでポルトガル語が役立つとは思わなかった」というのがある。まあ、聞きようによっては何とも外国語学をあまり得意としていない現在の私からみると、羨ましい発言である。

 

 つまり、鹿島時代にブラジル人監督や選手と過ごした事、そこでサッカーで使うポルトガル語は一通り話せるようになったと言う。だからブラジル人とのやり取りは問題なし。次にポルトガル語とスペイン語は似ているから、スペイン選手とも大丈夫!(何と柔軟性があることか!)ドイツ人とは英語を織り交ぜて話しているという。またドイツ語は不自由だけれどあえて通訳はつけていないという。分からない事は電子辞書片手に何度でも質問すると言う。そして彼は「苦労は血肉になる、と信じている」という。(そうなのです、苦労と言う言葉が適切化どうかは分かりませんが、血肉化することによって初めて噂話ではなく、本物になるのです)

 

 う~ん、ここまででも充分過ぎる位に素晴しいと感じるのに、更に彼はこれまでとコミュニケーションのとり方を変えたと言う。はじめは黙って監督や外人選手達からの指示を聞いていただけという。その結果「こいつ、大丈夫か・・?」という表情をされたという。(よく観察していますね~!)

 

 それを彼はプレー以外の部分で損をしていると感じ、それからどんな時にも少し大げさに(多分自分がそう思っているだけかもしれない、人から見たら決して大げさでには見えない場合も多々ある)言葉を返すようにしたという。(心理学では「バックトラック」と言って、信頼関係を築く第一歩なのです)

 

 その時に「分かった」というだけでなく、「こうなのですね」と聞きなおし(確認している)、内容を復唱するという。そんなちょっとした彼の言葉で言うなら「気配り」で相手も安心できる」という。日本人通しなら「暗黙の了解」なるものが合うが海外ではそれは通用しない。

 

 彼はきっとサッカーだけでなく、これからどの方向にいっても成功者になれる人である。私も彼をこれからも見続けようと思う。そしてまた、習慣の違い、考え方の違い(国民性の)なども学んでいる{所謂視野を拡めている)。試合前夜の過ごし方は、日本では試合前夜にアルコールなんて考えられないのだけれど、シャルケでは宿泊先のバーに集まってビールを飲むそうだ。試合前夜に飲まない日本の事を伝え「明日試合で動けるの?」と聞いたそうだ、答えは「ジョッキで2~3杯程度なら問題ないよ。気持ちよく眠れるし」だったという。(私はこの外国選手と同じ考え♪)自分に「責任を持つ」事を皆知っているのですね。

 

 監督やコーチも来て、互いの物まねをやったり他チームの試合を観戦したりするという。練習中は怒鳴りあったり、けんか腰で球を奪い合っている者たちが、一緒になって盛り上がるそうだ。因みに内田選手は全くお酒が飲めないらしく、ジュースで付き合いながらその場に一緒にいて盛り上がっているそうである。サッカーはチームプレーである。その良さをワールドカップから今回のアジア大会までに「さむらいブルー」達は見せてくれていたではないか!

 

 そしてこれはサッカーだけに限った事ではない。家族もチーム、仕事場でもチーム(その単位の大小はあるが、会社というカテゴリーでは同じ)、セミナー内もチーム、私たちは意識、無意識を問わず「一人では生きていない」事をもっと考え、感じていくべきなのではないだろうか。その先には「感謝」「思いやり」が見えてくる

 

     ☆素晴しい想いを実現している内田篤人選手のファンになった 菅野康子でした ☆




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「変化への恐れ」

今は(2007年9月9日から)これから約2000年続いていく「水瓶座」の時代ですが、この水瓶座の時代とは、簡単にいうと「誰もがヒーリングに興味を持ったり」「病気や感情的な問題、古い考え方を変えていく」事をしています。簡単にいうと、「もっと変わっていかなくちゃ」「何か別の事をしなくちゃ」などという考え方をするエネルギーなのです。

 

 これまでは「うお座」でしたので、例えばビジネスなども、木の一番上でりんごを食べているような人たちがいて、木の下にいる人たちは、落ちてきたものをちょっとしかもらえない、そんな状態でした。しかしこれからは「指導者達は何をやっているんだ」というような事が起きてきます(すでに世界中で起きていますが)。そんな中で日本という国はある意味、他の場所よりかはすこ~しだけ安全かもしれません。何故なら他の国ぐにとビジネスのやり方が少し違うからです。良いも悪いもそこには「尊重」とか「義理」などそんなものを大事にするからです。

 

 人々のエネルギーが大きく変わっていくので、家庭レベルでも「どうやって人生をコントロールするか」「どうやって生活をコントロールするか」などそんなことに皆が考えていくようになります。また閉鎖していくビジネスもあれば、新たに新しいビジネスが出てきます。これは絶滅と言われている動物たちも同じ事がいえます。

 

 そんな価値観の変化や人生の変化など、暫くは新しいものに慣れるまでの「変化」があるのですが、人は一般的にこの「変化」と言うものに対して「恐れ、怖れ」を持っているのです。それは「未知なる物への恐れ・怖れ」とでもいうのでしょうか。「自分の知らない自分」に出会うのが怖かったり、慣れているものに「執着」したかったり・・・なのです。

 

 私たちは最終的にはこの「恐れ・怖れ(死への恐れ・自立への恐れ等」なるものを手放す為に今生きているのかもしれません。人によっては、「恐れ・怖れ」は手放していても「耽溺(たんでき)」であったり、「驕り(おごり)」「支配欲」「判断(ジャッジ)*これも怖れの中に入るものですが」であったり、人それぞれ違いますが、それらを手放すのは目的があるのです。

 

 私たちは皆生きている意味があるし、その魂が今までまだ出来なかったものを手放したり、得たりしながら「真の愛」を知るためにいるのです。「」といわれるものであったり、「ワンネス」と言う言葉であったりしますが「真の愛」を知るの唯一の方法は「サイコメトリー」だけと言われています。「魂の声を聴く」と言う事でしょうか。これには元々備わっている人たちも多くいますが、普通は学びと訓練が必要です。簡単な事では「第六感」も近いかもしれませんね。誰でも持っているのです。ただ忘れているだけなのです。

 

 別に「真の愛」まではいかなくても、日常的に「感情」を持っている私たちはその感情を通して自分を見るし、知るのです。それが大事な事なのです。感情を見ながら、直したい所を直し、そのまま良いと思う部分は続けていく事です。その先には、私たち自身がそれぞれ「望む未来」が手に入るのですから。

 

 セミナー中によく言うのですが「慣れ」とは同じパターンの中にいると言う事。本心居心地がよければ良いが、もし何らかの不満、不安があれば、その「パターン」を変えることだと。同じ所ばかりを通っていると、そこには「轍(わだち)」が出来ます。轍にはまったら、中々出てくるのには時間がかかりますよね。

 

 今「変化」が訪れています。その波にしっかり乗っていきましょう。その為にもそれぞれに必要な事を学んでいきましょう。私も色んなジャンルを学んでいますが、その行き着く先はいつも同じなのです。一つなのです。私の場合はNLP(言語心理学)からのスタートでした。それはとてもラッキーだったと思っています。どこの世界でも日常・家庭でも、どのセミナーの学びでも、カウンセリング(=人の話しを聴く)は共通して大事な当たり前の事だからです。

 

 変化は楽しいものです♪ 変化しつつある私自身、毎日楽しく充実して今生きています。

 

                 ☆変化は可能性! 菅野康子でした ☆




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「オーラ&チャクラ」

 昨日そして日付けが変わって今日、昨年から学んでいる「ブレークスルーセラピー」のセミナーに参加中の私である。私が昨年閉じた「こどもみらい研究所」(現在「チームMIRAI)」)を始めた7年前、セミナー(NLP)とカウンセリングからスタートした。そしてその現実は実に様々なクライアントさんたちとの遭遇だった。

 その為、当時の私は「ヒーリング各種」「タッチフォーヘルス・キネシオロジー」「アストロジー」「前世・過去世療法」などなど様々な事を学んできた。というのも、目の前のクライアントさんたちが1日も早く「楽な状態」になって頂きたかったからだ。そのキーワードは「速さ」である。不登校のお子さんが何年もかかって戻るのは私はおかしいと思うからだ。講師をしているNLPもとてもパワフルなスキルが沢山ある。効果的だ。そして、どのクライアントさんにも共通する事は必ず「原因」があると言う事。

 

 その「原因」が「今現在」にあるのか「今世」にあるのか、「前世・過去世」にあるのか、とにかく原因さえ分かればそれぞれの方法で「解決」出来、しかも元にに戻ることはない。その信念で私はこれまで学んで、そして伝えて、癒してきた。そして今、数年前から導かれる様に学んでいた「オーラやチャクラ」の調整がいかに今の「肉体」に関係しているのか、がやっと理解できたかに感じる。

 

 私たちの体は量子力学が発達してきた現在、ご存知の方も多いと思うが「エネルギー体」である。そのエネルギーをつかさどるものがオーラであり、チャクラと呼ばれている体の中にある「渦を巻いている状態のチャクラ」なのである。これらの状態が良くない時には肉体的な病気になったり、精神的なうつ状態になったりする。

 

 昔から「右脳と左脳の統合」「男性性と女性性の統合」などと言っている私だが、その意味は「バランス」を取る事が、この世に生まれてきた意味が理解出来る早道だと思うからである。そしてそのバランスを取る手段の一つが現在学んでいる「ブレークセラピー」なのだ。

 

 明日(今日、でした。笑)も早いが今こうして調整方法を学べるワクワク感で、又それらが、これからどれだけ多くの人たちの助けになるかが分かるから書いている。

 

 よく「オーラがあるよね~」など巷で聞くが、その「オーラ」なのである。色もあれば大きさもありそしてそれはいつも同じではない(毎日変わるものではないが)。もっと大事にしていきたいと節に願っている私である。

 

     ☆ これでオーラを閉じて寝ようと思う 菅野康子でした ☆




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「先の心配ご無用!」

毎日生きていくうちの中、色んな出来事が起こってきます。そしてそれらが溜まっていくと・・・段々嫌になってきたりする事もあります。最近私の知り合いの方(30台独身女性)にこんな事がありました。

 

 その方は、前向きな方でそれまでの人生ず~っと順調に、いえ、順調以上に過ごしてきた方です。彼女は創造性、想像性などに優れていて、幼い時から彼女の創る物、書くものなどは殆ど日の目を浴びていました。ところが、ある所からの依頼でひとつの作品を創る事になったのですが、それらが全く進まなかったのです(詳しくかけない事をお許し下さい)。

 

 彼女はその作品を創り終えた後、留学の予定があり、既に試験にもパスして傍目から見たら前途洋洋、に見えていました。しかし・・・何が起こったのか、いきなり引きこもりに近い状態になったのです。その原因は「自分」というものの存在は何か?これは今までやってきたけれど、自分のやりたいことではないのかもしれない・・・、みたいな深いものだったのです。目の前の締め切りある作品も進まず、その先の留学もいやになり、「自分の存在を消す方法は何かないか」、と日々考えていました。

 

 いわゆる「挫折」を知ったのです。それまで彼女なりに苦労はあったにせよ、あまり苦しむ事なく生きてきた彼女が、自分の作品に価値を見出せなくなった時、自信を失ったのです。いつも言っている様に「自信」とは「自分を信じる」事です。そして留学も全くしたくなくなり、ではどの様にして今後を生きていくのか?もみえず・・・

 

 私は言いました。「まず目の前の事だけに専念する事。後の事はそれから考える事」先の不安、現在の自信のなさ、などが一挙に浮上したときに、人は目の前の事には手が付けられなくなって来ます。そしてそこを回避したら後はもっと辛くなるのです。本当の引きこもりになってしまいます。ここでは逃げたらいけないのです。

 

 結果彼女は苦しみながらではありましたが、何とか作品を期限までに仕上げました。最上とは行かなかった様ですが、もともと実力ある彼女です。先方は喜んでくださったとの事。そして今、彼女は目の前の事をやり遂げたからこそ、その仕事を通して「自分」をみたからこそ、今新たな道を探し始めています。まだ留学まで少しの時間はあるので保留にし、ゼロからの出発をしようとしています。本当に自分のやりたい事は何か?を探し始めています。

 

 私は彼女を観ていて、偉いなと感じていました。そして本来の彼女の「役割や使命」に気付くまでまだまだ時間はかかるかもしれません。でも、決められた道、何も考えずに歩んできたそれまでの自分から、自分の意思でやりたい事をやっていきたい、との変化は素晴しいものだと思っています。

 

 私たちは人の為に生きているのではなく、自分の為にまず生きるのです。そしてその事が「人の為」にも繋がるのです。それが「役割」「使命」なのだと私は思っています。

 

               ☆ まずは目の前の事をやろう! 菅野康子でした ☆




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「ほっこりする時」

 「ほっこリする時」

   それは・・・

    道を歩いていて 知らない人と目が合いお互いに目で挨拶が出来た時

    「こんにちは」という声が聞こえる時

    我が家の猫達が安心して並んで寝そべっている姿を見た時

    飲み物片手に 録画した韓流ドラマを見ようとする時

    セミナー会場で休憩時間中 受講生の笑い声を聞く時

    寒い外から帰ってきて 暖かい暖房の部屋に入った時

    湯船につかっている時

    お布団に入る瞬間の時

    
 まだまだ沢山あるけれど・・・ほっこリする時って平凡な風景ばかり・・

 皆様の「ほっこりする時」ってどんな時?

        ☆ 心が温かくなってくる・・それがほっこリ・・? 菅野康子でした ☆   

  




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