BSで毎週日曜日に「トンイ」を放送しています。
このトンイの産んだ子供が「イサン」の先週亡くなった王、ヨンジェですが、
先週も、「トンイ」ではまだ7歳、そして「イサン」では88歳で亡くなる・・・
何だか、不思議なタイムトラベルを味わいました(笑)。
トンイは、もともと奴婢だったが、積極的な親和力と
天性の才覚で、女官→国母となる。これはただのシンデレラ
ではない、その奥には、トンイの多大なる「叡智」が観える。
叡智とは愛である!
トンイを観ていて、毎週気持が良いのは、
トンイの言動には、常に
「相手を思いやる気持」が込められている事!
そこから発することの連続で、トンイには
智恵というだけではない、叡智があると感じる。
愛は叡智!
愛は勇気!そして
愛は優しさ!
愛は母!!!
∞Love&Light
以前このブログでも「中今」をテーマに書いた事がありますが、
「中今(なかいま)」とは、神道の奥義の言霊で、
「神代の代からの、全ての過去と未来を、統合した、今この瞬間」という意味です。
つまり。過去とは「過ぎ去った、今この瞬間」ですし、
未来とは「まだ起こっていない今この瞬間」なのです。
私たちはだからこそ、「今、この瞬間」こそが大事なのです。
起きてもいない未来を不安に思い、今うつ病や不安病になりたいのか、
過去に起きた事をいつまでも、人のせいにして「被害者意識」「犠牲者意識」
でいきたいのか、などが関連づけられます。
今、この瞬間を、大事に充実して生きると、そのつながりが未来です。
そして、今この瞬間を大事に充実して生きると、過去の事は皆、学びに変わるのです。
私たちは常に「いまこの瞬間」の重要さを、もっと、もっと、真剣に、
本気で考える事、感じる事が大事なのです。^^
もっとこれらの実例などを述べたいのですが、
今、この瞬間に私自身が真に重要だと思う事のみ、書いて今日のブログとします。
∞Love 織日女
昨日の春分の日、私はアセンション仲間たちと会っていました。
前回のブログでも「春分」を書きましたが、
更に「春分の日」とは「太陽の日」でもあります。
たがわず、昨日は実に気持の良いお天気でしたね^^
そして仲間達の一人が「本気と書いてマジと読む」と言ったのです。
その言い方と所作がとても面白くて、私たちは大笑いをしました。
話の前後で、それがいかに「真剣」だったのか、
が伝わってきたからです。
そして自分を振り返ってみました。
尊敬するある方に以前言われたのですが、
「そこそこ出来る」「本質を観ることが早い」などです。
しかし、この「そこそこ出来る」と言い返せば、
「真剣さが足りない」という事にもなるのです。
「本気」とは何でも、探求して実践して(そのくりかえし)
これ以上分からない事がない、というまでやる事、です。
そして、思い返せば色んな方たちから同じ様な事を言われていました。
20代の頃、お三味線を習っていたのですが(常磐津と一緒に)
本当に私はお稽古というものをしませんでした。
(幼い頃のピアノも、学生時代のフルートも)
お三味線のお師匠さんから良く言われていました。
「耳がいいからすぐに覚える。そこそこは弾ける。
しかし私の頃にはバチが飛んできたわよ」などと。
ピアノの先生は、余りに私が練習しないので、
とうとういらっしゃらなくなりました。
(自宅に来て頂いていたのです)フルートもしかり!
その結果、現在、お三味線も、ピアノも、フルートもどれも
弾いたり、吹いたりする事が残念ながら出来ません(T_T;)
それらも、皆「そこそこ出来ていた」のです。しかし「真剣さ」「本気」が
全くなかった為の現状です。
(勿論、自分でこれと決めてやったものではないのですが)
今は、私は自分で「これ!」と決めた事をやっています。
しかし「そこそこ」は同じだったのです。そこには「本気」「マジ」
何より「真剣さ」が全く足りていなかったのだと、思いました。
(自分を追い込む、という事ではないので、念の為^^)
そして「真剣」にやれば、心の底から楽しくなります。
大笑いが出来ます。昨日の仲間、そして私の様に^^
私は昨日の「大笑い」を覚えていたいと思います。
そして「大笑い」が出来る様になるまで、これから
「真剣」に取り組みたいと思いました。
「本気」と書いて「マジ」になるために!
∞Love&Light
私の近々参加するとあるセミナーの先生は、とても人気ですぐに一杯になる。先生のおっしゃる事は、とてもシンプル!その一つに「即断即決」というものもある。
私自身、以前から結構この「即断即決」型なので、実に気持良いのであるが、そして、決めるという事はその様に全てがなっていく、という事なので実は理に叶っているのである。
「したいか、したくないか」「行きたいか、行きたくないか」「学びたいか、何もしたくないのか」の様に、実は私たちの気持が、今後の自分を決めていくのである。
また「即断即決」が出来る様になるには、多分ある程度の経験・体験も必要なのだと思うかもしれないが、基準が自分の中にもあるから。それがないときには、判断の使用がないかもしれない。しかし、なのである^^実は、初めての事でも、私たちには素晴しい「直観」というものが備わっている(それが、私たちの「ハイアーセルフ=真の自分」からのメッセージでもあるが)。
そうでなければ、初めてのものにチャレンジをする機会は早々ないのかもしれない。私がNLPという心理学を学んだ事も、「これは何か分からないが良さそうだ、学ぼう!」と詳細を何も知らずに申し込んだ覚えがある。そして結果学んだ事は今もベースになっているので、とても良かったと思っている。あれも、「即断即決」だった。
もっと身近にあるのは、本屋さんに行った時などの「本」を買うか買わないか、みたいな時に味わう感覚かな・・?買おうか、買うまいか?その時の基準は、私は常に受講者の方に言うのは「迷ったら買う」^^
他の事も同じだ。やったほうが良いのか、やらないほうが良いのか?で迷う時は、「まずはやってみること!」その中から新たな次への道が開ける。例え、その時に「失敗」だったと思えることも、全てが「学び」に変わる「経験」が出来るから!やらなかったら、何も残らない。
全ては結局、「考える時間が欲しい」などというのはただの「先延ばし」という事^^考えても決して良い智恵などは浮かばない。行動するからこそ、そこで学ぶ事が出来る。そして私たちは、自分が経験したことしか伝えられないのだ。何故なら、相手に「共鳴、共振」させるだけの「エネルギー」がないから。
経験した事は、いつでも思い出す事が出来る。その時の「エネルギー」が再現出来るのだ。だから相手と話していても伝える事が出来るし、伝わる。
全ては「即断即決」! それは、私たち自身の内なるものからのメッセージ!
☆全ては実践から^^ 菅野康子でした ☆
最近お話する方達の中で感じる事・・・・そして、自分自身の思考が、つまり行動と伴っているのかいないのか、がよく分からない、という人が多いです。
な~んて書くと、何だか難しい言葉でかけばいいのか、って感じですよね^^ シンプルに言うと、要するに、自分の状態が忙しいのだが、それが良いのか悪いのかが良くわからない、つまりこれからどうして行きたいのかが分からない、という事です。
え?まだ難しい? そうですね。更にシンプルに書くと、「自分の現実は自分が創っている」とぐ~んと飛躍しますが、その表裏一体なのです。つまりは、自分が自分の現実を創っている事に気付いていない、という事。だから「どうしたい?」が分からなくなってくるのです。
先日関西に行った時、やはりある企業戦士の方とお話しする事がありました。その時も、この言葉を伝えると、その方は「う~ん、厳しいね・・・・」と苦笑されていました。つまりは意味を理解されているのです。素晴しいですね。
何をどういったって、簡単、シンプルです。私たちの現実は皆、自分が創っているのです。創造したとおりになって行きます。毎朝、足が痛いとしたら、きっと明日の朝も痛いにきまってる、と思って寝ます。するとその通り、朝、やっぱり足が痛いのです。
ITとは、イマジネーション・テクノロジー!想像したものが創造される!私たちは、未来の不安を抱えて生きる事より、今どうすれば自分のベストで生きる事ができるのか、と考える事が大事なのです。そのつながりが未来になります。
毎瞬ベスト!これが全てです。シンプルですね^^
☆ シンプルって素敵です 菅野康子でした ☆
今日は水曜日ですね。私は毎週水曜日にメルマガを発行しているのです。「あなたに有難う!」という総合タイトルの中で、毎週「(例えば)家族に有難う、柔軟性に有難う!自然に有難う!」などなど。
よく毎週書く事がありますね、と時々言われますが、このブログは基本的に毎日なので、おして知るべしですね。その時に浮かんでくる事を書いていくのです。長いのが、たまに傷ですね^^。もっと簡潔に書くように来年はしたいと思っています。
さて、毎日ではないのですが、コメントを頂きます。メルマガは大体毎週何通かはコメントを頂いています。本当に有難い事です。内容は、全てが「良かった」ばかりではありません。これがまたいいのです!いわゆるFB(フィードバック)ですね。お叱りを受けたり、もっと勇ましいものもありました。自由が丘で仕事をしているときには、ストーカーも出現しました^^。幸い問題になる事などにはならなかったので良かったのですが、スタッフや当時共同でやっていた方なのに対して私が気をつけていました。
話しが少しずれてきました・・・今日は、コメントの有難さ、つまりFBの有難さ、について書こうと思ったのでした^^;
一般的にFBときくと、嫌だなぁ~と大体の方が思います。FBと言われなくても、会社の上司などから「ちょっと話があるから来てくれ」などといきなり言われたら、やはり、緊張するというか、何だかいい話の様な気はしませんよね。何か失敗したかなぁ~って考えません?真っ先に。
そうなのです。だからこそ、このFBそのものを、もっと効果的に拡げたいのが私です。私自身、先に書いた様に、頂いたコメントが私にとって嬉しい事ではない時は、相手の方の内容をじっくり読んで、その肯定的意図を考えたり、エネルギーリーディングなどをします。そして適切な返信を出します。
大体クレームは殆どないのですが、一回きりですね。何度か続いたという例は今まで10年間ではなしです。いやだ・・・また話がずれてきました。FBの話でした!
私が学んだ所のNLPでは「FBするときに、まずは良い所、そして更なる改善点」と教えてくれました。これは素晴しいですね! 上司部下でも親子でも、友人通しでも、まずは相手の良い所を伝えるのです(さりげなくですが)そして、(この「そして」が大事!。決して「しかし」とか「でもね」ではないのです)、伝えたい、自分が言いたい事を(つまり相手の改善点)を伝えるのです。
まず良い所を言われるので、大体の人は、聴く耳を持ちます。最初から、がみがみでなくても。自分がもし何か失敗した事などをちくちくと言われても、言われる方は自分が一番知っていますので、もう分かった!と言いたいですよね。言う立場で特に、この「良かった点、そして更なる改善点」を思い出してこれからやってみてください。
もうこれをやっている方はOKです。きっとあなたからの話はみなさん、聴いている態度で分かりますね。聴いているフリ、が一番多いですから(^^)。コミュニケーションの最初のスキルです。お勧めです。
だって、相手に何か相手の嫌な事を伝える事って、相手の可能性を信じているから、ですよね。そうでなければ誰がわざわざ言うでしょうか。私たちは言われる方にしても、向こうはそうは思っていなくても、こちらとしては、自分が気付かなかった事なのは、間違いないので(どんな事であれ)、有難い事この上ないのです。
そして嬉しいコメントはもっと励みになりますよし、明日も、来週もがんばろう!って気になりますね。一番困るのが、普通のメールにレスが無い事ですね。どんな返信にせよ、レスは必ず必要だと思います。相手の方を思うならですが。どれだけ毎日が忙しくても、私の知りうる限り、尊敬できれば出来るほどの方たちは、皆さん必ず返信しています。これは素晴しいと思います。
以前も書いたのですが、レスは、相手の為というより自分の為、ですね。自分を大事にしたいなら、メールには返信しましょう^^!
今日もすっかり長くなっていました。ごめんなさい!!!そして読んで下さって、本当に有難う^0^/// コメントをいただければもっと嬉しいかなァ(笑)♪
☆Love&Light∞ 菅野康子 ☆
最近私は日本酒を頂ける様になりました^^。20代の頃は何でもありで、結構無茶もしたのですが、元々そんなにアルコールを飲める方ではありません。が、皆で行く「居酒屋」などはもう大好き♪ですね^^ 丁度1年前まではビールだけは飲めていたのですが(水代わり^^)、何だか休肝日もなくて、そろそろ止めようかなぁ~って思ったのです。
すると、翌日から39度3分の熱が3日間!止めようと思ったのでビールの神様が怒ったのか(笑)、って感じでしたが、お陰様でそれから飲めなくなったのです。その代わりと言っては何ですが、今はSトリーのノンアルコールビールが水代わりです^^(1年経って気付いたら5~6㌔痩せていましたよ^)
そんな私ですが、最近はブログにもたまに書きますが、よく神社に行きます。「昇殿参拝」もする事が多いのですが、必ず終了後に「御神酒」を巫女さんが注いて下さいます。「いえ、飲めないので・・・」な~んて事は言えませんよね。そしてそれらの御神酒は全く酔わなくてとにかく美味しいのです!!!
そこで段々と、個人でも参拝する時、御神酒を買うようになったのです。やはり美味しい!!!「御神酒」は、もともと「頂く」と尊敬語で言いますが、これは神の霊力を賜るもの、とする考えからきています。
神代(かみよ)以来「おおみき」「みき」というのは、「神に献つるお酒の事」です。「おみき上がらぬ神はない」という諺は、「神さまに必ず差し上げるものであるが、人もまた誰もが頂くものだったから」と言います。
御神酒は、神と人とを一体に結び、人と人とを和合させる霊妙な力を持っています。ちなみに「薬」と同じ言葉の「くし」は御神酒の異称でもあるそうです。
こうして考えると、御神酒は勿論の事、日本酒全体がとても愛おしくなりますよね!(私だけ~???) そういえば、各神社でのご祈祷などの後、献上された御神酒を抱えた神主さんたちが、ニコニコと歩いていかれるお姿を見ますね。まさに神と人とを結びつけるものが御神酒なのだと思います。
こんな事もあって、私は最近、どこに行っても、日本酒を愛する様になったというわけです。しかしもともと弱いので、真っ赤になりますが、(赤くなる事が恥ずかしいのではなくて、アルコールが入った位で、赤くなる事が恥ずかしいー_ーかな?
もうすぐお正月ですね。元旦にはお屠蘇を頂きますが、今年は格別楽しみです~~!!!
☆ Love&Light∞ 菅野康子 ☆
「では失敬する」などと、世の中の男性陣は、今でも結構使っていますが(若者はどうでしょう・・・?)、「失敬」という意味は、読んで字の如し、で「人に対して礼を失した振る舞いをする事、またその様。失礼。無礼」などの意味があります。
その他にも、「先に席を立つこと、人と分かれる事」「人のものを黙って自分のものにする事、盗む事」「人と別れる時の挨拶や失礼をわびる時に言う語」などがあります。結構幅広いですね^^;
実は、私は最近、ある方に言われたのです「あなたに対して失敬ですね」と。つまり、平たく言えば、私はどうやらなめられているような、そんな事を指摘された事がありました。
確かに、思い返せば、なめられたなぁ~、って感じですが(事実です、笑)、しかし、どうなのでしょう・・・・・なめた相手は気付く時はいつかきっとあるでしょうし、気付かなければ、それはそれで仕方無い事なのですし・・・(その人の事です)。またなめられた私自身の責任でもありますしね^^;
しかし一方で、もしこのままで行くと、きっとその人は私にではなく、他の人に「失敬」な振る舞いをする可能性もあるわけです。その人の事を思うと、話した方がよいのかもしれませんね。迷う所です。
反対の「敬う」の意味は「相手を尊んで礼を尽くす、尊敬する」「対称を高位のもの、上位のものとして礼を尽くす」などがあります。 更にもう一歩いくとそこに「神仏を尊いものと考え、それを行動や態度に表す」もあります。
それらを失った事を「失敬」と言いますが、では私自身「失敬な態度をされた」事はどうやら事実なのですが、そこから何を学ぶか?なのです。20代の頃も同じような事がありました。その時は「自分の名前を大事にする」そのためには、言わなくてはいけないときには、きちんと言う、という結論でした。
今回は、まだ進行形なのですが、私は何を学ぶのでしょうか。「敬う」とは何なのでしょうか?「敬われる」とは何なのでしょうか?もう少し考えて見たい、感じてみたいと思っています。
☆ Love&Light 菅野康子 ☆
今日はメルマガ発行日でしたが、今日のタイトルは「宇宙の法則に有難う!」(~に有難う!という有難うシリーズなのです)というものでした。何だか、日常とかけ離れて聴こえるかもしれませんが、実は密接に結びついているものなのです。だからこその「宇宙の法則」なのですが^^
それを書いたせいか、今浮かんできたのが、「二極性」という言葉でした。私たちは今この人生の中で、この「二極性」を学んでいますが、つまり「愛と恐れ」「善と悪」「女性性と男性性」「右脳と左脳」「システムとエネルギー」「光と闇」「全体と個」・・・上げていけばきりがないですね。そうそう、「戦争と平和」などもありました。
今どうやらこの二極性をそろそろ卒業して、簡単にいうと卒業、つまり「統合」していく時期に私たちはいるようです。言葉が難しく聴こえるので、少々申し訳ないのですが、そして普段は中々こんな事も日常生活の中で話し合ったりする事も少ないと思うのですが、すこし、立ち止まって考えて、感じてみませんか?
以前から私は講義の中で「光と闇」について、私達が普段感じている「恐れ」のジャンルについて話しをしていました。私たちはこのどちらも持っているのだから、と。それはそうなのですが、では「統合」って何なのか?となると、答えるのに少々困っていました。幸いな事にどなたもこれまでその質問をされなかったので、助かりましたが・・・^^。
そして気付いたのです!「二元の中」で考えていたのではないか?と。実はすべて「一元の中」で考える事が必要だったのです。
「二元論」ではなく、「一元論」なのです。つまり、「一元の中の二極」という観点です。
「光と闇が存在するのではなく、光がない所を闇」というのです。
全ては一つ(根源)から始まり、その中での「二極性」を学んでいるのが、今私たちが過ごしているこの人生の三次元なのです。つまりは、その両方を統合する、例えば「左脳と右脳」みたいなもの、この両方を統合した時に、松果体がスパークして「統合された」、という事になるのです。
この話はまだまだ奥がありますが、これ以上書くと更に混乱するかも知れないので、この辺で止めますが、簡単にまとめると、この「一元の中の二極性」の一番重要なのは、いつも書いている「全体と個」なのではないかと思います。
「どこが全体なのか?何が個なのか?(これは私たちですよね)」、人によって、この「全体」をどこに持ってくるかでこの答えが違ってくるのだと思います。が、この「一元論」と考えるならば、感覚的には何かが分かってくるような気がされると思っています。
今日は、分かりやすい例題がなくてごめなさい!しかしとても大事な事だと思うので、このブログに書きました。この奥には「神智学」や「人智学」などもあります。ご興味のある方は、是非読んでみることをお勧めいたします。
☆ 光を思い出して生きていきましょう! 菅野康子でした ☆