下記の内容を今日のお昼に送信したまま(結果は送信できないままですが)、そのままパソコンが繋がらなくなりました。そしてようやく先ほど開通したのです。皆様は如何でしたか?ご無事だったこと何よりです。明日この地震については改めて書きますが、まずは下記の事を今日はそのまま載せます事を、ご了承下さい。
地震で亡くなった方に心からお悔やみ申し上げます。そしてお怪我をされた方、家が無くなった方・・・どうぞ命があった事をまずは感謝しましょう。必ずまた笑える日がきます。
こうして書いている今もまた揺れています・・・
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今朝の朝日新聞に「子の暴力“ダメ”毅然と」というタイトルで記事が載っていた。最近では日常で子殺し、親殺しなども多く行われている、哀しい現実がある。
私自身以前のクライアントさんのお子さんから(当時16歳)の家庭内暴力を経験された事のある方もある。この方の例は、このお子さん自身が幼い頃の両親の離婚、引き取られた母の入退院の繰り返し、など、寂しい想いがあり、そのまま「感情」を封印して育った為のものであった。(必ずその原因がある)
そのクライアントさんにはご自身の事とは別に、お子さんへ接し方について「今は身体も大きいが、まだあの幼かった頃のお子さんと思って、暫く接してみましょう」と言っていた。その成果があり、そのお子さんは、全く「喜怒哀楽」というものを10数年間封印してきたものを(それは自分を守る為に無意識に感情を封印していた)、だんだん笑えることを思い出し、テレビや映画を見て感動する事も思い出してきた。その矢先にそれらの事を私に、そのお子さんから伝えようとして、私に言われた一言で家庭内暴力となった。その言葉は「最近どんな事で笑った?」
その一言が引き金となって、そのお子さんは、クライアントさんに物を投げたりした。幸い怪我はなかったから良かったのだが、私自身もっと詳細な感情の変化に気付いていかなくては大変な事にもなる可能性があった、と今でも心に戒めとなって残っている事である。
そのクライアントさんは、「先生から言われていたので私も気付いていたのです。あ~、こうして甘えたかった時期の事を今、手放しているんだな、と。暴力という行為を通して。しかも私が怪我をしないように、投げながらも物を選んでいるんですよ(笑)。」と本当に落ち着いて笑いながら話して下さった。
そしてその後もう一度軽い暴力があったが、その後今に至るまで2度と暴力はない。今は親子で必要な事を話せるようになり、勿論笑い、怒り、泣き・・・と。そのお子さんも大検を取った後(高校1年で不登校となる)、現在大学で最終学年を向かえている。
まず、今書いた事は何かと比べるものではない。こんなもの、家庭内暴力と言えないと思う方もいるだろう。しかし何故書いたのか?それは、記事にもある様に「親は毅然とする事が大事だからだ。」「子育ては自分自身が試されているのだからだ。」自分がやってきたこと、その考え方が全て子どもに行くのだ。こどもはその象徴なのだ。そこからもし悪い状況であっても決して逃げてはいけないのだ。
必ず金髪に染める子も、暴力を振るう子も、口答え一つしない子も(だからと言ってよい子ではない。親にとって都合の良い子なのだ)、その奥には「原因」がある。例えば、金髪に染める子たちは、自分自身をもっと見て欲しい、構ってほしい、怒ってほしい、愛して欲しい、認めて欲しい、などなどの理由があるのだ(勿論本人達はその事に気付いていない場合が多いが)。
親は子どもを自立させるためにいる、また自分自身は子どもの言動をみながら成長しているのだ。そして子どもはその親の心をそのままあらゆる行動を通して見せてくれる。表面に現れる事の奥に何があるかをみていく、感じていく、考えていく事が大事なのだ。必ず原因がある。だからこそ、まず親は毅然とする必要もある。
家庭内でのルールを作る。その目的は子どもの自立に向かっての第一歩だ。其の中には、決して暴力では何も解決しない事も伝えるべきなのだ。自分(親として)の弱い部分もある時には見せてよいのだ。まずは自分自身が「どうしたいか?」「どうあるべきか?」を考えていく事から始まる。
私自身子どもと身体を張って子どもを阻止した経験もある(女だてらにだ。、笑)。今となっては懐かしい経験かもしれない。どうぞ、家庭内暴力は勿論、それ以外の事で悩んでいらっしゃる方たちも、「何故こんな行動をするのだろう?」(自分に理解できなくても、相手の立場になって考えてみよう。大事な責任ある子どもなのだから)と考えてみよう!
☆きっと家庭内暴力をするお子さん達はその前にSOSを何度も出していた・・・菅野康子でした ☆