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2010-07-13
「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃなし」
- 2010-07-13 (火)
- 菅野康子の「ちょっと真面目に」
「先生」と言う言葉に対して私は幼い頃から、タイトルの様な「信念(思い込み)」を持っていた。今は勿論その点はリリース(手放す)しているが。そしてこんな事をここで書くのどうかと自分でも思うのだが、今日は思い切って書いてみようと思う。
私が幼い頃、私の父(眼科医)は、当時(高度成長期)あちこちで誰でも彼でも「先生」といわれる様になっていた事をよく嘆いていた。「先生、と呼ばれるのは、学校の先生と医者だけだ」とよく言っていた。今でも勿論そうだが、美容師さんも先生、政治家も先生、俳優さんも先生・・・・世の中「先生」か「社長」ばかりだった(笑い)。
勿論それで円滑にいくならそれはそれでよいのだろうが、父には父のプライドがあった様に思う。私の父は昔の「赤ひげ」風医者だった。父が亡くなった時、ゴールデンウィークだった為、表立った事は後にしようとなり、内輪だけでの通夜&告別式にした。
ところが何処で聞いていらしたのか、告別式では医者仲間は勿論、後から後から、家族に抱きかかえられるようにしていらっしゃるお年寄りや子ども達、銀行関係、学校関係(校医をしていた)などその立場で参加というのではなく、個人的にで参加して下さっている方たちが後を絶たなかったのだ・・・。
父は「人を大切にしていた」そして「人から慕われていた」。弔問に訪れて下さっている一人一人のお顔を拝見していてそれを感じた・・・、理解した。
父は真の「プライド」を持っていた。
そしてその職業を全うした。幼い頃よく言われた「先生」は学校の先生と医者、と言っていたのは、ただ勉強を教えている、医療をする、先生ではないのだ、と私に教えたかったのだと思う。父は「人を育てていた」。私もその一人だ。
しかしそれが災い(笑い)して、私自身トレーナーとして受講生の方の前に立つとき「菅野さん」で良いですよ、な~んて言っていたのだ。それは「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃなし」もあるが「先生と呼ばれようがそうでなかろうが、私が伝える事は変わらない」と思っていたから・・・それは間違いだった。先生は先生なのだ。何故なら「伝えている事に責任を持っているプロだから」。
そして数ヶ月前から受講生の立場に立ったとき、私は「?」と感じ始めた。初めて学ぶ方たちにわざわざ「菅野さん」と呼ばせる事は、相手の方の「学びのモード」を奪っていたのだ。中にはトレーナーと学んでいる自分を同等に思ってしまう受講生もいる・・(勿論どちらが上とか下とかの判断ではないが)
そんな事を徒然なるままに考え、先日のセミナーからはアシスタントの方たちとも話し「先生」と呼ばれることになった。その話の時にも言われたが「最初はとても違和感があった」「そして今でも「先生」と言うのがスムースだと思っている」などが出た。
数年前もある受講生の方とランチをご一緒にした時に「先生」といわれたので、「菅野さんでいいですよ」と言った。しかしその方ははっきりと、そしてキッパリと「いえ、私にとっては先生なのです」とおっしゃった。感謝である。
思えばそこでも気付くチャンスは私にあったのだ。こうして書きながらも想う・・ただの呼ばれ方、なのだが、その奥底にある「想い」は様々であり、そしてそこはその人の「奢り、謙虚、自信」そんなものに繋がるのだと理解した。
☆ 先生と呼ばれ先生になっていく・・菅野康子でした ☆
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