- 2009-01-06 (火) 12:03
- 菅野康子の「ちょっと真面目に」
今日の「天声人語」にこんな言葉があった。
「愛の反対は、憎しみではなく無関心だともいう。それなら憎しみの反対は何か、と考え込んでしまう。」
これは、今まさにこの地球上で起こっている「イスラエルとパレスチナ」の事である。 そして、次の言葉を読んで、愕然とした私である。
「おれは 民衆を憎まない。/ おれは 誰からも盗まない。/ けれどもだ、/ もしも おれが怒ったなら/おれは わが掠奪者の肉を食ってやる。/ 気をつけろ、おれの空きっ腹に、/ 気をつけろ、おれの むかっ腹に。」
この言葉は、去年他界したパレスチナの名高い詩人ダルウイーッシュの一節だそうだ。(土井大助訳)
自身もイスラエルの建国で故郷を奪われ、「愛の詩でさえ、ここでは抵抗の詩になってしまう」と生前語っていたそうである。
実際に、目の前で愛する人たちを奪われた人たちの気持は、多分理解出来ないと思う。しかし、私たちは、知っている。その悔しさを。その哀しみを。 思い出しましょう。
この戦争に関しては、私が言うまでもなく、ブッシュ(と、その背後)の最後の置き土産だ。ひどいものである。任期の切れる前に戦争を起こすとは言われていたが・・・。
そして、もう一つの事が書いてある。 ハマスの自爆テロに遭い、15歳で命を落としたイスラエルの少女、バット・ヘン・シャマクの「平和の夢」。 彼女は平和をこよなく愛し、日記や詩文を残したそうである。
「美しい言葉の裏側に/ 苦しみ、痛み、恐れ、不安の年月が /隠されています /でも、 これらの言葉の倉庫には/ もう一つの言葉があるーーー それは、希望」
憎悪からは、何も生まれない。悲しみの連鎖を生むだけだ・・・。 私はこう思う。
「憎しみの反対は、それは“許し・赦し”である」
「許す」「赦す」ということは、人を、国を、相手を、赦すことではない。すべて「自分を赦す(許す)」事でる。 難しい事かもしれない。しかし、私たちが今この世にいる存在理由は、全てここにある。
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