- 2011-07-12 (火) 21:22
- 菅野康子の「夢」「願い」
これは今日の東京新聞の「発言」欄の投稿のタイトルです。内容もとても心に残りましたので、そこから今日は書いていこう(紐解いて)と思います。
ご存知現在の日本の現状は、どこをどう観ても悲観的な材料が揃っていますが、それでも、私をはじめ私の周りの人たちは皆、落ち着いて暖かく、まさに「心に愛100%!」の人たちばかりです。ただ昨日も近くの駅で人身事故、今日も京王線で人身事故。2ヶ月で160人の自殺者(福島)の事を書いたばかりですが、自らの命を絶つ人がこの所また目立ってきているように感じています。
きっとその方たちは「絶望」の中で亡くなっていかれるのでしょう。絶望の反対は「希望」ですが、実はどちらもあるようでないのです。希望を見出すのも絶望を見出すのも、皆自分の「心」だけなのです。
さて21歳の大学生の誠君の投稿ですが、現在女子サッカーがベスト4まで行き、元気を与えてくれています。その事から昨年のワールドカップを思い出し、南アフリカの踊る人たちを観た誠くん、その笑顔から「生きる力」を感じたのを昨日の事の様に思い出すそうだ。
大学の授業で「アフリカの自殺率は非常に低い」と知ったという。経済的に貧しい国であっても、常に笑顔で希望を失わない風習があるからだろう、と思ったそうだ。それを現在の日本と比べた時、経済的に豊かであっても、心が貧しい気がしてやまないと言う。殺人、自殺、いじめ・・・。
そして「声を大にして叫びたい」と最後に書いてあった。「皆一人ひとりがかけがえのない生命なのだ」と。そして「皆が生命を尊ぶ日が訪れる事を切に願いたい。」と締めくくってあった。
全く賛成だ!そして、この誠君のような大学生がもっともっと一人でも多く出てくる事を私は今、切に願っている。それらの気持が一つにあわさって「集合意識」となった時、何かが少しずつかもしれないが、変化するのだ。
私たちは経済的に豊かという事を「奢り」につなげてしまったのではないだろうか。そして今回の放射能事故などが起こったとき、初めて気付く。生命に優るものはないと。そして自然の有難さ、思いっきり息が吸える有難さを知る。知った時にはとき既に遅し・・・と皮肉りたくもなるが、実はそうではない。気付いた時から始めたら良いだけの事なのだ。
何かを、誰かを、「批判」する事は簡単だ。しかしそこには自分の責任というものが伴っていない。私たちは、直接、間接を問わず今起きている事は皆関わっているのだ。つまりは責任が私たち一人ひとりにもある。では「どうしたいか?」なのだ。私は例えば放射能はこの自然界には決していらないものだと観じているから、「脱原発」を唱えている。集会にも参加している。ネガティブなものなのだ、放射能自体が。
これらの「集合意識」がもっともっと増えていくと、気付けば私たちの目の前から「原発」は消えているのだ。シンプル!皆が優しい気持になるのは、まず家庭、家族が大事なのだ。子どもは親の言動を観て育つ。子どもは親の鏡なのだ。きっとこの誠君の親御さんは心の優しい方なのだろうと思う。皆で優しい気持で生きていける社会を作っていきませんか?
☆ 愛と光と共に 菅野康子でした ☆
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