- 2011-06-23 (木) 11:59
- 菅野康子の「夢」「願い」
今日の東京新聞には関連する2つの話題が載っていた。その一つは、実際に沖縄戦を戦った元陸軍伍長の近藤一さんの話。もう一つは、集団自決後助かった松本実さんの話。両方の話しに関係している事は「平和への願い」である。
近藤さんの話しを思い出す人は東京新聞の記者さんだが、彼の思い出す近藤さんの話とはこうだ。簡単に記す。
「近藤さんの所属した歩兵大隊の約1200人の9割以上が戦死。戦闘に巻き込まれた住民や兵士のおびただしい数の死体を見た。ちぎれた頭や手足があちこちに散らばっていたという。その後、部隊壊滅後の「万歳突撃」に失敗して捕虜になる。
住民を壕(ごう)から追い出したり、虐殺したりした日本兵がいたと信じられなかったという。そして「全ての兵が悪かったのではない」という。定年後体験を語り始めた。捨石にされた怒りを口にすると、自らの体験を直視せざるを得なくなった。中国大陸で何をしてきたのか・・・。
初年兵がまず命じられた事は、中国人を銃剣で刺し殺す訓練。10人並ばせ、小銃一発で何人貫通するか試した事もあるという。銃剣で妊婦の腹を切り裂く。老人の耳をそぎ落とす・・・。部隊は残虐行為を繰り返したという。
戦争の犠牲者はいつも民衆だ。中国も沖縄も同じ。「私たちが中国でして来た事が沖縄で起きていた。地獄だった。沖縄で虫けらの様に殺された兵隊が、中国では人間と思えない事をやってきた。」
この記者は言う。「住民の4人に一人が犠牲になった沖縄の地でも、戦争体験の風化に抗うのは難しい。戦争がリアルな手触りを失った時、「戦後」は終わるのだろうか?記憶を継承する地道な営みを大切にしたい」と。
そしてもう一人の松本さんは、「子や孫の為、基地をなくして!」と訴える。彼の経験は・・・、
「集団自決で両親、姉、弟を失った。なんで自分だけが助かったのか(逃げ出したのか)とその悔いは66年経った今も、昨日の事の様に残る。
米兵は酷い殺し方をすると教えられていた。「自決だ」と大人たちが話し、幾重にも輪を作り、誰かが手榴弾を爆発させた。後方で身をかがめていた松本さんは、気付くと血だらけの人たちが見え、生き残った親子が逃げ出したので後を追ったという。家族との永遠の別れだった。
戦火の中を1週間逃げたあと、その後米軍に捕らえられ、「コザ孤児院」に。収容所を出た後は、親戚の家を転々とし、中学卒業後は米軍基地でハウスボーイや電気機器のオペレーターとして働く。「わが子には絶対貧乏をさせたくなかった」
今は子や孫に恵まれ、60歳を過ぎ、「自らの戦争体験を伝えたい」、と思い始めた。昨年、かつていた収容所で亡くなった子らの慰霊祭が行われると知り、足を運ぶ。民家だった収容所は当時のまま残っていた。
松本さんは言う。「東日本大震災で震災孤児を生んだとニュースで知った時、一人ぼっちで寂しかった幼い自分の姿と重なる」と。そして「戦争が震災と違うのは、人間が作り出すおろかな事だと言う事よ」と。最後にねえね(姉)が運ばれたという話しも聞いて、地元の浦添城址の展望台に立った時、先に広がる普天間飛行場を見つめて「沖縄が好きよ。こんな所に基地は危ない。そろそろ他に持っていったほうがいいよ。」と。それは子孫の為に平和を願う松本さんの祈りにも聞こえたとこの記事を書いた記者さんは締めくくっている。
これらの事を改めて観じると・・・実際に経験した人がいて、それを直視しなくてはいけない辛さ、そして伝えていこうとする姿勢・・そしてこれらが継承されている事は必要だと説に私も思う。風化させてはいけないし、また同じ事が今私たちの目の前にも現れているのだと思う。
「原発」も人がコントロール出来ないしろものだ。今の状況を観ていると良く理解出来る。戦争も始まってしまえば、連鎖反応で「したことが返ってくる」「因果応報」「憎しみ・哀しみの連鎖」例えそれが命令だったとはいえ・・・。そして犠牲になるのはいつも「民衆」なのだ。今の状況と全く同じではないか。
当時大本営の発表はまさしくコントロールされていて、今の時代も全く同じ。真実はいつも闇の中。一部のトップのみが知っている。国民は気付いても、また感づいていても、大本営(政府)の発表を信じる人たちが多い。それにはむかうと「非国民」、今で言うと「風評被害」。少し違うのは、いえ全く違うのは、今は「ネット」があるという事。勿論、ネットも操作されている事も多いし、その情報を見ながら「自分で判断する」、事が必要だが。
私たち人間は決して「愚か」ではないと私は思っている。しかし同じ過ちを繰り返すのは、どこかで「人任せ」にしていたからではないのだろうか・・? 自分には関係ないと・・。今この原発事故後の放射能汚染状態で、今も既に亡くなった方はいるし、今後どれだけの犠牲者が出る事だろう、と考えたら・・・・。もうこれ以上人任せにはしないで、今私たちが、起きている事への責任を取ること、子孫たちの為に、地球の為に、立ち上がらなくてはいけないのではないだろうか、と私は思っている。
☆ 逃げるのでは進まない。受け止める事! 菅野康子でした ☆
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