- 2011-02-09 (水) 12:38
- 菅野康子の「夢」「願い」
またまた相撲界で八百長があった、過去はなかった、などマスコミを賑わしている。確かに「八百長」はいけないことである。しかし、それだけ、かな・・・?
市民の見解でも様々な視点からの論議がなされている。一方からだけ見るのは危険なのではないか、と私は思う。何故八百長に手を出さなくてはいけなくなったのか?力士一人ひとりの目的は違うかもしれない。全員がお金の為だとも思えない。先輩力士から言われた時に、縦社会が強い相撲界にあって断れない場合もあるだろう。遊びのお金欲しさで乗った人もいるだろう。練習嫌いな為に乗った力士もいただろう。が、殆どは真面目に取り組んでいる力士と私は思っている。
が、神聖なる土俵の世界も所詮「人の組織の集まり」だ。どの「組織」も「組織」となった時点で元を忘れて段々余計な物が付いてくる。権力であったり、利得であったり。そこには「人望」「人柄」「観る、聴く、感じる力を持った人」が常に必要だ。自分の為というのではなく、その組織、世界(相撲界なら相撲界)の為に。長い歴史の中、どうやら相撲界はその中だけで生きてきた為に、温存され続けた為に、目を失ったらしい。
だからと言って、「八百長」など、決してやって良いことだとは私も思っていないし、こんな事で相撲を楽しみにしている方たち(特に地方のお年寄りの方たち)の娯楽を奪ってはいけないと思う。残念だ。が、ここ数年相撲界一つをとっても、何度あらゆる事件が浮上してきただろう・・?これでもか、という位あったはずだ。いちいち覚えてはいないが・・・。
元が変わっていないから、起こることだ。気付きなさい、と言われているのに気付かないからまたこうして起こるのだ。相撲、そして相撲界、その組織のあり方、など同じレベルで考えてはいけない。何より私が一番悲しかったのは、「携帯を妻が踏んでこわした」「機種を変えたので」「水没した」などいろんな言い訳で携帯を出さない力士たちが多くいるという。誰がやったとかが今必要なのではない(本人はそれぞれ反省すべきだが)、相撲界全体の為に必要なのだ。しかし、職を失う恐れ、名誉を失う恐れ、家庭を失う恐れ、などの為、結果自分に「嘘」をつく。そしてその先は「自分を失う」
八百長を行った力士の中には子どもがいる人も多いだろう。自分の子どもは勿論だが、これから未来の社会を作っていく多くの子ども達にその人たちは顔向けが出来るのだろうか。力士の前に大人としての自分が・・。例え表には出なくても自分が行ったことは自分が知っている。携帯提出云々より、自分に恥ずべきである。ましてや言い訳はただ情けない。位置から出直せばよい。自分に正直に生きていたら、決して悪いようには行かないのがこの世の常なのだ。その正直はいつか必ず自分に返ってく。応援していますよ!
☆ 自分に正直が一番! 菅野康子でした ☆
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