- 2011-04-25 (月) 17:10
- 菅野康子の「自然」「バランス」「癒し」
さて、アルベルト・アインシュタインの言葉に「感動する事をやめた人は、生きていないのと同じ事である」というのがあります。それほど、私たちにはこの「感動」という言葉の、その奥にある「心」というものがあるのです。
では「心」って何でしょうね。学校で教えてくれるものでもなければ、本に載っているものでもありません。ドラマや映画を観て、感動した・・・、スポーツ観戦をして感動した・・・・、本を読んで感動した・・・・、感動するものは沢山あります。熱い想いですね、感動って。そして誰しも皆持っているものでもあります。
しかし、素直に涙が出なかったり、何だか「バッカみたい」と言ってみたり、ってありませんでしたか? それは、心を閉じているのです。今私が書いているこれらの事も、す~っと入ってくる人もいれば、何これ・・・と思う人もいれば、色々だと思います。何これ・・?の人たちは、心を素直に開いていない証拠になります。
矛先は私にではありません。そうしたい人もいるのでしょうが・・・。みな「自分自身」に矛先は向いているのです。今、震災(津波、原発事故、経済状況悪化)など、様々な事が現実に起きています。そしてそれらは、皆私たちが作り出しているものなのです。私たちのネガティブな思いが集合して、この様な現実を作り出しています。
その意味は、きたるべくシフトの為に、浄化作用として起きているものでもあります。今までと同じ価値観を持っていると、これから起きるシフトにはいらないものなので、それらを手放す為にもこの現実があるのです。だからこそ、「平凡」「当たり前」といった事が、今私たちの中で、大きい意味を持ち直しているのではないですか・・?
私たちは五感を持っています。その五感を使う事が直感に繋がっています。今までの生活は、決められたルールに乗っ取って、その価値観でやっていればよかったので、五感を使う事もなかったかもしれません。しかしそれはおかしいぞ~、って段々人々は気付き始めたのです。
観て、聴いて、感じて(匂いや、触れるもの)みましょう。そこから何が生まれますか? 今私は犬の散歩から戻ってきましたが、桜が散り、八重桜が満開、藤の花、さつき、つつじまで、咲き始めていました。今までは、藤の花といえば、高い棚の所で咲いて、触れることはしたことはなかった私ですが、今日見たのは、すぐ傍に自然に咲いている藤の花でした。
そ~っと触ってみました。始めての体験でした。柔らかい感触で触っても嫌がらず(そんな感じでした)、みずみずしい花でした。もうこんな事で私はとても感動したのです。八重桜もそうでした。手を伸ばせば、八重の桜の一塊が目の前にありました。こちらは触りませんでしたが、もう観ているだけで、目の前にあるだけで本当に幸せでした。ふと気が付くと、愛犬がじー~っと座って私を待っていました(笑)。
観て、触って、感動して・・・私は優しい心に包まれていました。手術中もずっと光を送り続けていましたが、その光が回ってこちらにも来てくれた様でした(実際にそうなのですが)。
アインシュタインは「生きることは、感動すること」と言っているのです。今日の手術は特別の事だったかもしれません。しかし無事終わった、それは感動以外何者でもありません。そして、初めて藤の花を触った私もまた感動以外何者でもなかったのです。小さい頃から、ず~っと触ってみたかったのです。興味津々でした。何であんなに高いところにあるのだろう?って腹も立っていたような・・・(苦笑)。同じなのです。大小や特別なんてないのです。心をもっともっと育てていきましょう。それは感動する事から。そしてそれは五感を使う事からです。
☆ 五感に有難う 菅野康子でした ☆
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