- 2011-02-12 (土) 1:06
- 菅野康子の「自然」「バランス」「癒し」
この所セミナー受講が続いているが、先日のメルマガにも書いたが、出会いとは本当に面白いものである。セミナー会場で会うわけだから、表現は違っていたり、今の状態はそれぞれ勿論違う事は当たり前だが、同じもの(学び)をしたいと思うその気持は同じである。だから共通点も多い。
今回も今日でまだ会って2日目の方だが、生まれて来た時から知っている、そんな感覚の方と出会った。彼女は北海道からの参加である。年齢もも出身も顔も全く違うのに、この感じる「共通感」は何なのだろう?とも思う。
*今回のセミナーはサイキック開発なので、それらも当たり前に私たちは感じている事でもあるのだが。
私たちは「未知なる物への恐れ」があるという。しかし私の場合はどっちの方向を見ても未知なる者へは興味しかない。ただワクワクしているだけだ。この世に生まれてきた「意味」をとにかく知りたい!その興味だけなのだ。
そんな仲間達のいる場所は私にとってとても居心地が良い。また今回その仲間の一人である男性の写真家の方がいらっしゃるのだが、彼は田代島という島の猫たちを撮り続けている。今日その写真集を購入したのだが、かわいい猫たちのちょっとした表情が、動物好きの(特に猫)私には、何とも言えず愛くるしい。
だが所詮「野良猫」。目に病気を持っている子、毛並みの悪い子・・・色々いる。まだ詳しく見ていないし、読んでいないので結論は出せないが、ふと目にとまった彼の文章の中にこんな事があった。
「田代島には、昔ながらの猫の居場所がある。大事に崇められているわけではない。愛玩動物として扱われているわけでもない。だが、島の人々は猫に寛容だ。道で寝ていれば車の方がよけてやり、海の恵みを分けてやり、島の生活の一部として自然に猫たちの居場所を認めている。
だから田代島の猫たちは生き生きとしている。人を怖れる事もないし、生存の為に狡猾になる必要もない。堂々と歩き、かといって出過ぎる事もなく、ときおり茶目っ気を見せながらのびのびと暮らしている。たくさん遊び、たくさん昼寝をし、猟師にサカナをねだり、ケンカをし、恋をし、子を育て、猫らしく生きている」
私は田代島には言った事はないが、きっとこの島の人たちはその昔から「島」の中で様々な想いの中から猫たちとの「共存」を大切にし、同じ生き物通しとして仲良くやってきたのだと思う。私の好きな部分は「海のめぐみをわけてやり」と「生き生きとしている」だ。そこには島の人たちの「おおらかさ」「優しさ」を感じる。きっと「しけ」の時は人間も猫たちもみな同じ様にひもじい思いをしたこともあるのだろう、と思う。
一般的に都会の人たちは特にこれらの事を、皆とはいわないが忘れて来ている様に思う。それは私にとっては寂しい事だ。世の中の人たちがみな「相手の存在を認め、分かち合う」事が出来たら、きっとこの田代島の猫たちの様に、本来の自分そのものになるのだろう。そして自分の居心地良い「居場所」が一人ひとりに出来るのだろう、と思う。
☆田代島の住民に乾杯! 菅野康子でした ☆
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